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悲しい記念日 乗り越えられなくてもいい いつか話せるときがきっとくる


3月11日、8年前までは誰も意識しなかった日。

7年前に起こった大震災。
2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒(日本時間)
マグニチュード9の大地震が起こりました。
だから今は東日本大震災があった日としてメディアが特集を組む。


個人的には何十年もの間、勿論現在でも3月11日という日を忘れられない日である。
〇年前の3月11日(土曜日)の私は祖母が入院していた病院のベッドにはりついていた。
吐血と下血が止まらない祖母の介護をしていた。
夕方になり、看護師さんが「畳のお部屋に移動しましょうね。」そう言って、10畳はあろうかという畳の部屋に祖母は寝かされた。
祖母のさいごの言葉は「眠かがよ~。おはんな、てんがらもんじゃ~。」(眠いよ。あなたはおりこうさんだ)です。
私は祖母から離れなかった。今思えばトイレにもいかず何も食べず、ただただ「おばあちゃん、ごめんなさい。」そう心の中で謝っていました。
なぜごめんなさいなのか、それは自宅で介護をしていたときのこと、昼間は学校に行く元気な中学生だった私にとって、真夜中の祖母の介護が6か月を迎えたころに限界を感じてしまい、心の中で(お祖母ちゃん、もう死んでくれたら私は楽になれるのに)と思ってしまったからです。
真夜中の介護は水を吸い口で飲ませることと、おむつの取り換えだった。
おむつを取り替えるときにはヤカンでお湯をわかして水で温度を調節してタオルで下半身を綺麗に拭いてあげる。
大好きなお祖母ちゃんでしたから最初のころは頑張れていたのに、どんどん私はつらい気持ちがお祖母ちゃん大好きの心境を超えてしまっていた。
一度でも死んでくれれば・・と、思ってしまった自分を責め続けていました。
つらい気持ちを誰にも話せず、そう思ってしまったことを誰にも話せずにいた中学二年生でした。

3月11日を過ぎて12日になろうとする頃、祖母は体で大きく息をしていました。
看護師さんから「お祖母ちゃんの腕の脈をとっておいてくれますか?脈が感じられなくなったらその時間を私に教えてくださいね。」と言われました。腕の脈をとりながらお祖母ちゃんの顔を見ながら、そして時計を見ながら過ごした数十分。
12時37分に脈は消えてしまいました。
お祖母ちゃんに抱き着いて泣いて泣いて謝って謝って・・。
「ばあちゃん、いかないでー。ごめんなさい。」
そういいました。
一緒にいたのは祖母の娘、私にとっては伯母でした。
伯母に言われました。
「いかないでって言っちゃだめよ。祖母ちゃんがあの世に旅立てなくなるから。」

中学生だった私はそうなの?だとしたらまた悪いことを言ってしまったの?と悩みました。

その後看護師さんに時間を報告をするためにナースステーションに行きました。
亡くなった祖母の体のあちらこちらに脱脂綿を詰めるとのことで、部屋から出ることになりました。
10円玉を持って病院の公衆電話から我が家に電話で祖母が亡くなったことを知らせました。

涙は止まることなく、流れ続けました。
人には必ず最期のときがくる。だからあんなことを思っちゃいけなかったんだと、さらに自分を責め続けました。(その後大人になるまでに父や母が入院する度に看護をすることになり認知症になった父の介護もすることになりましたが、介護となったとき、実際自分がどれほど疲労困憊してつぶれそうになるのか、死んでくれれば・・そうでなければ自分が死にたいと思うのはごく普通のことだと知ることになります。)

父が車に布団を敷いて病院に祖母を迎えにきました。
ストレッチャーを看護師が持ってきましたが、父がそれは要らんよといい、祖母を負ぶわせてくれと頼み、父は祖母を背に負ぶって車に向かいました。
その時に言った言葉は「ばぁさん、軽ぅなったなぁ。」でした。

母と祖母の喧嘩が激しかったこともあり、父は祖母の味方をすることもありませんでしたが、父親を3歳で亡くした父にとっては母ひとりで育ててくれたことに感謝していたはずなんです。
良く生きた母への孝行は、負ぶってあげることだったのかもしれません。

自宅にもどり仏間に美しい敷布団と掛布団を用意して祖母を寝かせました。次々と通夜の準備を始めました。
その夜私は金縛りになりました。目を開けると横に祖母が添い寝をしていました。少し上を見上げると線香の煙がゆらゆらと立ちのぼっていました。

祖母ちゃんと過ごした最期の夜は添い寝でした。

その日のことを私はこれからも忘れることはできないでしょう。


忘れられないことは忘れなくてもいい。悲しいときには悲しくなって泣ければ幸いです。
涙が出ないことのほうがよほど問題なのです。

ただ、今日の日は二度とない、今というときにも二度と戻れない。
だから歯がゆくても悔しくても悲しくても、ほんの少しだけ一度だけでも笑って過ごしたいと、心の底から思います。

祖母との出会いに、祖母から教えてもらったたくさんの言葉に、心から感謝しています。

人の一生は運と縁でできてる。良い縁で結ばれると人生は心豊になります。


眠るときに「今日の日にありがとう。」そう言って眠りについていた祖母の声を私も引き継いだよ。
今日の日にありがとう。

もう一言付け加えるとすれば、今日できなかったことがあったよぉ・ごめんなさい。


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